BULLS合宿 2024/9/7-14

 

BULLS合宿 2024/9/7-14立山―奥黒部―赤牛岳―水晶小屋―高瀬ダム)

お久しぶりです。3年の奥田です。皆さま年末をいかがお過ごしでしょうか。2024年最後の日にブログをあげていただけるようなので、張りきってブログを書いていこうと思います。さて、今回は夏季休暇中に行ったBULLS合宿の報告をさせていただきます。そうです。大延滞です。気が付けば年の瀬。の大師匠の〇さんは合宿ブログ1年延滞だったので、その意志を継いでいるということにでもしていただきましょうか…SNS担当さん、本当にごめんなさい。




BULLS合宿は、笑いあり、涙ありの怒涛の合宿でした。普通の合宿ではなかったです。結果から書いてしまえば、大失敗した合宿です。失うものもあれば、得たものもたくさんある。そんな78日の旅路。順を追って、振り返らせていただこうと思います。

 



We are BULLS!!   初めに合宿のメンバー紹介からさせていただきます。

左から、期待の大型新人枠1年生のH.K. ポジティブガール。

和み担当の2年生K.N.K。ピュア・パワフルガール

体力担当、2年生ATM。一見ただの短パン小僧。

ツッコミ担当の2年生K.B. 山と高原地図の愛読者。

ケビン・デュラントのK.D.意識してみました。バスケ好きでもないですが

最後に、このパワフルなメンバーを指揮する、監督権選手(プレーイングマネジャー)みたいな立ち位置の僕といった感じです。

 

 それでは出発していきます! 合宿、1日目。




  先輩方に送迎していただき、いつもの山行ではありえない9時という遅すぎる時間に扇沢駅に到着。ゆったりと始まった合宿と、大勢の観光客の雰囲気になんだか締まりきらない気持ちを抑えて、室堂まで交通機関を乗り継ぎます。写真は電気バスに揺られる。




あっという間に、黒部ダムに到着。大きいザックを背負って展望台まで。記念に写真を1枚。後ろに見える赤牛岳と黒部湖を眺めながら、これからの旅に胸を膨らませ、この笑顔。会計担当一年のH.K.が皆から集めたお金を握りしめて「私たち、お金持ちですから。」と、写真のデータ化を即決。この決断に後々救われることになるとは、この時には思いもしませんでした。




今年で引退するトロリーバスに別れを告げて、またまた乗り換え。






うちのATM からのBULLS愛感じます。(いじめじゃないです。)


やっとの思いで室堂に到着。人ごみの苦手な僕たちはこの時点でヘトヘト。さっきまで晴れていた空はどこへ…立山さん。お顔見せて下さいよ。

 


石の新しい置き方。目が合うとなんだか楽しい気持ちになります。


テント場に到着するや否や、山でそうめん。行きの車で先輩に頂いたものを早速茹でる。冷たいそうめんしか許さない男もいるようで茹で水が有り余る。


次はせんべい一口食い対決。こんな風な雰囲気でやらしていただいています。

 

その後はトランプしたり、おしゃべりしたりして気づけば夕方。


夜ご飯は一年生のH.K.が作ってくれたハッシュドビーフ(のちにチンジャオロース風野菜カットといわれる)。新鮮なお肉と野菜。合宿一日目の喜びを感じる一皿でした。

ごちそうさまでした。

おやすみなさい。

 


合宿2日目。今日は立山を一周していきます。

越中男児は立山に登って初めて一人前として認められるそうなので、張り切っていきましょう。



 

気がづけば、二座登り切っていました。さえない天気に睨みつけながら歩いていると、ナチュラルに戦隊立ち?かっこええやん(困惑)



富士ノ折立もサックっと踏破。ピークとその標識が見つけにくかったです。


最後は雄山。これからの合宿の旅路の安全を祈願して参拝。ピークもハント。

雄山神社の名物、「万歳三唱」も経験。大人の本気の万歳は迫力があります。


同期からの差し入れのBULLSの被り物!これから通る予定のピークをクンクン。


色付き始めた室堂を抜けてテント場に戻ります。

9月入山は季節の移り変わりなんかも感じられます。


テント場にて晩御飯を食べ終わったころ、ようやく立山の山々が顔を出し始めてくれました。気持ちの良いアーベンロートでした。

「ああ、良き天気。心安らかなり」おやすみなさい。



おはようございます。合宿3日目です。

ここにきてようやく快晴の空。天気の良い日の山の朝は心まで澄んでいく気がして、なんだか気持ちがいいですよね。今日は五色ヶ原を目指します。


ようやく美しい山影を拝むことができました!!


朝の空っぽな室堂を歩いていきます。


こんなにきれいな室堂を見渡しながら、「剱みたかったな」と呟くATM

心の声「みんな思ってるよ。」


途中の龍王岳に寄り道。このピークが思っていた以上に素晴らしい。人が多いルートから1時間ほど歩くだけでこんなに良い展望を独り占めできます。この日は槍ヶ岳まで見えました!一年生のH.K.はこれを見て、「ワンゲルに入って良かった」って言ってくれました。嬉しい限りです。


この日の行程はここからが長かったです。登って下っての繰り返し。


皆こんな顔で歩いていた気がします。


ザラ峠に向けてザレた道を下っていきます。五色ヶ原の富山側の切れ方は迫力があります。「最後の下り。最後の下り。」と念じて下りました。


ザラ峠にて一本休憩を取ります。昔はここに道が通っていたとか。(K.B.談)

後ろで疲れ果てたK.N.K.がベビーカーに乗る赤ん坊みたく寝ています。ここからはあと少しです。頑張って!


合宿中よく見た光景。最後の登りにておいていかれる僕。かっこ悪い。今更ですが、ごめんなさい。


ようやく五色ヶ原の木道に到着。心なしか足取りが軽やかになります。やはり平らな道は素晴らしい。植生の豊富さが歩いていて感じられました。五色ヶ原こそ「最後の秘境」だって声を大にしたいものですね。

 


疲れ果てた二年生たち。テント場について即行寝ていましたが、夕飯の時間には出てきて準備頑張ってくれました。夕飯は焼きビーフン。皆、疲れて誰一人写真を撮っていませんでした。ドンマイK.B.

 

合宿4日目。五色ヶ原にて起床。いい響きですね。


明るくなっていく空を見つめる2人。顔面モルゲン。準備運動したりして、素晴らしい。

4日目は奥黒部ヒュッテを目指します。


みんな、いい笑顔。写真から「散歩」の歌が流れてくる気がしませんか?


平ノ小屋まではひたすら下り。木道は1/4くらいまでで終わって、登山道らしい登山層を歩きました。どんどん道幅は狭まり、道中少し危険な箇所もありました。

 


平ノ小屋に到着。渡船の出発時刻を小屋で待ちます。H.K.が牛乳を購入。最後のひとつだったようで、小屋の方と盛り上がっていました。この小屋は小屋主がお一人で営んでおられ、ルンバが稼働していて面白かったです。


渡船の乗り場に向けて、はしごを下ります。奥から今年で引退した遊覧船「ガルべ」が来ていて、名前を呼びながら手を振りました。その声で、お昼寝中の船頭さんたちを起こしてしまいました。船頭さんは、やかましい僕たちを快く舟に乗せてくれました。船頭さんの舟さばきは華麗なものでした。


レイククルーズ・イン・ザ・マウンテンでテンション爆上げの僕たち。昨日まで体調のすぐれなかったメンバーも標高のおかげか、舟のおかげか元気に笑顔を見せてくれました。


このために買ったであろう笠帽子。舟と笠帽子。似合いますね。舟に乗る際は購入をお勧めします。モンベルで5,830円だそうです。

 


船頭さんたちとはお別れして、先を目指します。船着き場について早々、急なはしごを登ります。舟を待っていた6070代くらいのおじさまが、僕たちに「この歳なったら、君らもここへ帰ってくるよ。」と言われたことは強く印象に残っています。そんな頃まで山に登れていたら幸せだな。また奥黒部まで来ることができたなら楽しいだろうなと将来に思いをはせます。



はしご、はしご、はしご祭りぃぃぃ。(スシローのCM風)


片側の接地していないはしごなんて当たり前。建築学を学ぶ僕にしたらどう成り立っているのか興味深いです。これを現場にて手作業で組んでいる職人の皆さまは経験をもとに組んでいるのだと思うと感服します。


 

はしごの下はこんな感じ。黒部ダムも上の方まで行けば、よくある山間の川みたい。



最後の一本。標高が下がって、急に夏場の暑さが押し寄せてきました。砂浜みたいな道に足がとられて、ATMもこの怒り具合。「もうすぐ着く。」と魔法の言葉をかけてあげます。


ところが、待ち受けるのは、はしご渡渉Ver. まだまだ気は抜けません。

奥黒部の源流は激流でものすごく荒々しい川でした。この流れの中で生きている岩魚は強いなぁなんて考えながら歩いていました。


ながーいはしご道を抜けてようやく小屋に到着。テント場の受付を済ませて、お風呂の予約をします。この小屋お風呂があるんです。一度に23人入れるようで、家庭のバスタブのような浴槽が1つと洗い場が2か所ありました。温度調整のできない蛇口に慣れず、身体を洗うのに少し時間がかかってしまいました。


さらにこのテント場。地面が砂です。この上ない寝心地。素晴らしいい。この地面のせいかK.B.がツェルトで1人で寝たいと言い出したので、ツェルトを張って、K.B.は1人きりの夜を過ごしました。こういう時には人のほとんどいなくて、人数だけで料金の決まるテント場は便利ですね。

 


K.N.Kの同期からの差し入れ。大切にここまで持ってきて、たくさん写真を撮って愛でていてサボテン君も満足の様子。


合宿5日目は沈にして、奥黒部で停滞し、次の日の読売新道に備えます。

朝、好きな時間に目覚める喜びと共に起床。テント場に残った僕たちのテントとツェルトはいつもより主張が強い。ここでの沈した時間は子供のころにイメージした冒険を体現したような時間でした。誰もいない静かな場所で仲間と過ごす時間は心も休まります。


もちろん時間がたくさんあるので暇つぶしもします。

杏仁豆腐を作って川で冷やし固めたり。


ナンを練ったりもしました。


山で本格派のカレー料理。ナンとバターチキンカレー。美味でした。時間があるって素敵。翌日に向けて生気を蓄えます。

 

 

ついにやってきた合宿6日目。本合宿のメインであり正念場。朝3時にテント場を出発して、水晶小屋を目指します。今日の行程は1800UP越えの大行程です。


朝一でこの顔。元気が一番。そうだね。赤牛遠いね。水晶もっと遠いね。頑張ろうね。



岩場みたいな箇所もあります。暗い中、先へと進んでいきます。僕たちのパーティーは賑やかで、暗くとも動物と出くわすことはなかなかないでしょう…(たぶん)


日が出てきました。BULLS合宿日常の一コマ。休憩をとって、行動食をみんなでつつくように食べます。歩いても喋っていますが、休憩をとるともっと真剣にしゃべります。鳥も近寄ってこないです。


今までの山であまり経験したことのない風景。草みたいな植物が生い茂っていました。写真で見ると心地のいい雰囲気に感じます。実際は夜露で靴回りがびしょ濡れになりました。


だいぶ長い間ハイマツを分けて進みました。大きい荷物を持つ僕たちにとっては辛い道のりでした。


ついに赤牛岳の山影が見えてきました。時間は順調です。


この直後。事故は突然起きました。疲労のせいか、一年生が足元の石につまずいて、頭から転倒。頭部と手足の数か所に怪我を負ってしまいました。その場で処置を行って、1時間ほど様子を見て、荷物を上級生で分担して、先に進むことに決めました。



なんとか赤牛岳に到着。居合わせたおばさまにレッドブルをいただきました。まだまだ、水晶小屋までは長いです。


恒例のBULLSポーズ。

 


まだ水晶岳はほとんど見えません。聞いてはいましたが、ここからが本番でした。迫る時間、無理の範囲で頑張って進んでいきます。


一歩一歩、水晶岳に近づいていきます。大きくなったザックをものともしないK.B.

 

 

水晶岳の直下に先頭が着いたころ、2つ目の事故が起こってしまいました。メンバーの1人がザックを下した後、目を離した隙にザックが谷底へ転がっていってしまいました。大きな岩の裏側での出来事であっただけに、先頭の者以外はどこへ転がっていったかもわかりませんでした。植生は少なく、見通しがある一方、落ちていったザックは目視で確認できず、回収は危険と判断し、諦めました。単にザックが落ちてなくなった事実以上に、モノが落ちると見えないところまで転がり落ちていくという事実が目の前で証明されたことによって、そのモノは自分たちであるかもしれないという漠然とした不安感が襲ってきました。


その後、通過する水晶岳の南峰にて1枚写真を撮りました。どんな表情で写れば良いのかわからないそんな表情にも見えます。漠然としていた不安感は歩いているうちにどこか現実身をまして鮮明な不安に変わって行ったように感じました。その日に怪我した人がいたからか、疲労による神経の疲弊のせいかは自分たちにとっても定かではありませんが、これまでに経験したことがないほど、「死」を身近に感じました。決して口には出さなかったですが、皆がそれを感じていたように思います。パーティーの雰囲気には如実に表れていました。座り込んで泣いてしまうメンバーもいました。僕もメンバーを絶対に死なせてはならないというプレッシャーに押しつぶされて、息がうまくできないほどになってしまいました。「頑張りましょう。」僕を救ったのはそんな一言でした。とても重みのある言葉でした。その一言のおかげで、はっと我に返って、今置かれている状況と何をすべきかを理解しました。各々が極限状態の中、助け合って、励ましあって、進み続けました。

ついに水晶小屋に着くことができました。時間は1720分でした。あり得ないほどに遅い時間です。さらには、1名怪我、1名ザック紛失の報告付き。当然のように小屋の方からしてみれば、ほぼ遭難した状態に近い客で第一印象は最悪だったのにも関わらず、小屋の方々はとても心優しかったです。相談にのっていただいたり、空いた食堂を開放していただいたり、翌日にはザックを確認しに行っていただいたり、本当に至れり尽くせりしていただいて、深く安心しました。他にも、小屋に着いた安堵か、涙が堪えきれずに泣いていたメンバーを見かねて、泊まっている御客の方が汗拭きシートを差し入れてくださりました。すごく心が温まって、一度切り替えて、明日以降、無事に山を下りることに集中しよう。そう思うことができました。励ましていただいた皆様のお心遣いのおかげで良い方向に進むことができたと、ひしひしと感じます。もし、合宿中にお会いしたかたがこのブログを読んでいただけていましたら、この場を借りて、重ねて御礼申し上げます。ありがとうございました。長かった6日目。一日を振り返り、いまへの感謝を強く噛みしめ、明日への希望をもって床に就きました。反省だとか後悔だとかもたくさんありました。自分なりの合宿を通して感じたことはこのブログの最後にて綴りたいと思います。

 

 合宿7日目。予定を大きく変更して、下山の最短経路、高瀬ダムへの下山を目指し、この日は烏帽子小屋を目指します。すっきりと晴れた空。なんだか自分たちの心のように感じました。




本当にお世話になった小屋。人の温かさには大きな力がある。そんなことを心と行動で教えていただきました。


野口五郎岳が見えてきました。一歩一歩進みます。

 

本合宿最後のピーク。広いピークと陽気な標柱。当初の目的地、槍ヶ岳を眺める。岩山のcg

中程度の精度で自動的に生成された説明




多分、合宿での最後の集合写真。

烏帽子小屋には、あっさり着きました。テントを張って、その夜は、「心がジワァってする話」をエピソードトークのフリースタイルで出し合いました。みんないい話を持っていて、とっても沁みた。いい時間でした。

 

合宿8日目。最後の朝。合宿で一番美しい日の出の朝でした。深い青色の空を朝が飲み込んでいくのが見える感じ。僕が山で見る景色で一番好きな景色。


 

悔しい気持ちで眺めた赤牛岳。帰るまでが遠足です。みたいなノリで、下りるまでが登山です。なんて言いながら、下り始めました。山の景色

自動的に生成された説明

読売新道に比べれば、とっても歩きやすい道で、特に問題はなく、気が付けば、ブナ立尾根を下りきっていました。この日は登山系インスタグラマーの方がたくさん登ぼっていたようで、よくスマホの画面で見ている人たちとすれ違ったりしました。

裏銀座登山口にて、少しほっとした様子にみえます。



下山口はまだ先です。目の前にそびえる山々の大きさをみて、だいぶ下ったことを実感しました。高瀬ダムのダム湖も見えて、合宿の終わりを感じ始めました。

 


建物, 石, 男, ウォーキング が含まれている画像

自動的に生成された説明
いくつかの橋やトンネルを抜けた先、最後のトンネル。奥にはタクシーが停まっているのが見えます。本当の本当にラストスパートです。

 

七倉山荘に到着。ようやく下山が完了しました。心の底からの安堵を感じたのも束の間、下界で見守っていただいていた遭対の皆様に下山を報告。もし自分が遭対でこの合宿を見ていたなら、ヒヤヒヤして、たまらないと思います。本当に遭対の皆さまにはご心配おかけしてしまったなと反省するところであります。水晶小屋の方にも連絡しました。「また、お越しください。」といただきました。とても嬉しく感じました。頂いたご恩を忘れず、これから精進しようと思います。




色々あって、下山口での集合写真は叶わなかったので、唯一あったアイスクリームの写真を貼りました。偶然下山口で居合わせたご夫妻とご一緒しました。山はいろいろな「ご縁」があるもので、水晶小屋で一緒していた方々で、喝のお言葉と、励ましのお言葉をいただきました。お話をする中で自分たちの至らなかった点が漠然と整理され始めたように感じました。一時間近くお話ししていました。またどこかの山でお会いできれば、喜ばしい限りです。

 

打ち上げはこの日には行わずに、お風呂と軽食を済まして、ボックスに帰って、解散しました。ダイジな約束を蹴って来ていただいた先輩、本当にありがとうございました。

さらっと終わってしまった合宿とは裏腹に、各々家に着いてから、合宿のことを振り返り、散らかった感情と長い時間向き合いました。大変な合宿になってしまったなと感じています。そんなネガティブな感情を忘れることなく成長していくことが僕たちの責務であるなとも感じています。ただ、無事に下りて帰ってこられたことは、素晴らしいことです。数カ月過ぎたいま、思い返してみれば、仲間と過ごした笑いと幸せのあふれる8日間はとっても楽しく、充実した時間だったと思います。

おわりに

 この合宿を通して、自分の未熟さを痛感しました。他人の命に責任を持つということは想像以上に責任の重い行為であって、その責任全うするには、至らぬことが多かったと感じています。体力一つをとってもそうです。もっと体力をつけることもできたはず。いろいろな努力が足りなかった。その結果がこの合宿で起こった事故なのかもしれない。そう思うと後悔が後を絶ちません。

一方で、本合宿から学んだことはたくさんあることも事実です。団体登山の難しさも学んだことのひとつです。お互いがお互いに依存している以上、誰か一人が欠けてしまえば、致命的です。なぜ共に登るのか。そんなことまで考えました。僕の答えは2つあります。1つ目は、お互いの足りない能力を補うためということです。単独の登山者がザックを谷底に落としたならそれはもう遭難です。ひとりで心が挫けてしまえば、それもまた危険です。そうはならなかった。最後まで走り抜けた。これは僕たちが支えあいながらやってきたことの証明でもあると思いました。2つ目は、共に歩いて、共に食事をして、共に笑って、共に寝る。そんな小さな幸せの共有こそが意義であり、喜びなのだろうなと感じました。頼りたい時には仲間を頼ることも良いし、楽しい時間は精一杯仲間と共有すべき。当たり前すぎて、気づかないことに、気づかされた合宿でした。

長々と書きましたが、やはり僕にとって、仲間の存在は大きいです。心の底から感謝しています。これからも助け合って、楽しく部活を行おうと思っています。最後までブログを読んでいただき、ありがとうございました。良いお年を。

 

 

 

 

 

 

 

 

後日談


 ザックを紛失した男が部長に就任しました。彼は不幸続きだったので合宿メンバーで神社にお参りに行こうと決めていたのが、先日ようやく叶って、来年度の安全登山の祈願もかねて諏訪大社にお参りしてきました。夜は打ち上げも行えて、ようやく合宿に区切りがついたように思います。楽しめる限り、今後も安全に山に登って、精一杯楽しんでほしいと思います。お疲れ様でした!ありがとう。

(余談)宮司の方の話では一年に23日ある山の神の日には、山に登らないという風習があるそうです。その日は山の恵みに感謝する日で、入れば祟りに合うとされているそうです。山に行く日にちは確認した方がいいかもしれませんね…

コメント

このブログの人気の投稿

新歓合宿 霧ヶ峰 2024/4/27,28

新歓LW 金峰瑞牆 2024/5/11,12

多分、南。合宿 唐松岳結成 2024/6/29,30